はじめてお寺参りをされ、ご法話をお聴聞したときに「何を言っているのか分からない…」という声をよく聞きます。仏教用語の中には聞きなれないものも少なくないでしょう。ここでは、よく使われる仏教用語を紹介して、この言葉をなんとなく理解していれば、法話をより深く味わえるようになるかなと思います。
少しずつ追記していこうと思っておりますので、ときどきご覧いただけると嬉しいです。
お釈迦様と阿弥陀如来と親鸞聖人、ブッダ、仏
そもそも登場自分物のことが理解できていなければ、名称が出てきた時点で「?」となってしまいます。
お釈迦様は、2500年前のインドで仏教の開祖です。もともとは王子様でしたが人生を問うて29歳で出家、35歳でお悟りを開きます。そののち各地でお説教された内容をもとに「お経」が編纂されます。
今あるお経は、お釈迦様がどなたかにお説教された内容ということです。
お釈迦様と混ざってしまうのが、阿弥陀如来。浄土真宗のご本尊です。お釈迦様と阿弥陀如来についての関係は詳しく話すと長くなりますが、実在された人物としてのお釈迦様、おすくいになる法としての阿弥陀如来という理解でよいかと思います。詳しくはまた別のところでご紹介します。
ブッダや仏というのは「目覚めた人」ということで、固有名詞ではなく、悟りを得た人、存在をブッダや仏といいます。そういう意味では、お釈迦様も阿弥陀如来も仏さまです。このあたりがイメージしにくく、法話の中での言葉で「誰のこと?」となってしまうかと思います。
そして、当たり前のように出てくるお名前として「親鸞聖人」です。浄土真宗の宗祖、鎌倉時代の僧侶でございます。浄土真宗の教えを私たちにお示しくださった方で、法話では当然のように話題にのぼります。
南無阿弥陀仏と信心
仏教の目的は成仏です。自分自身が仏になることを目指していて、仏になるというのは人生の苦という問題を解決した状態です。様々な宗派というのはこの苦へのアプローチの方法が違うということになります。
浄土真宗では南無阿弥陀仏を大切にいたします。阿弥陀如来のすくいのはたらきで私たちは浄土に往生して仏になります。そのなかで重要ポイントが「信心」となります。往生の因が信心なのですが、私たち自身は信心さえも自分の力で持つことは難しい。阿弥陀如来はそんな私たちにご信心を届けて下さっている。信心をいただいたことに感謝して南無阿弥陀仏とお念仏申す。
さて、「?」が山ほど出てきたと思います。そうなんです。浄土真宗のすくいの流れを表現するのはかなり難しい。私自身も書きながら、この表現はいいんだっけ?と迷いながら文章を書いています。