うつと仏教

浄土真宗本願寺派の僧侶で臨床心理士・公認心理師をしている武田正文と申します。

お坊さんでカウンセラーをしているということもあり、心の悩みについて相談を受けます。そのなかでも特に多いご相談は「うつ病」です。

「長年治療をしているのによくならない」という方もいれば、「しんどいけれども治療には繋がりたくない」という方もおられます。うつ病治療の原則として、まずはしっかりとした休養と薬物療法が大事ですので、お早めに医療機関を受診されることをおススメします。医療機関への抵抗感が強い方もおられますが、それについてはまた別の機会に詳しく解説いたします。

ここではいわゆる「うつ病の治療」ではなく、仏教や心理学から見るとまた違った世界が広がるのだということをご紹介したいと思います。いろいろ相談して、たくさん悩んだけど、自分らしい道が見つからないという方はぜひ最後までお読みくださいませ。

うつ病は治療しなくていいのかもしれない

「明るく元気で前向き」がいい状態で、うつ病は悪い状態である。どうやらこれが社会の常識になっているようです。それも分からなくはないです。元気だったころのイメージが自分らしくて、そのころのエネルギーを取り戻したいという思いは自然なことです。うつ病で思うように行動できず、好きだったことも楽しめないという状態は自分を見失った感覚があることでしょう。

もちろん医学や心理学のなかには、元気になるための理論や方法がたくさんあります。私もカウンセリングではこれらの理論にのっとってお話をいたします。ただときどき、「この人に必要なのは治療なのだろうか?」と感じることがあります。

そもそも治療をするというのは、それが悪いもので無くした方が良い状態になるということが大前提にあります。身体疾患の場合は明確で、ウィルスは無くなった方がいいし、がん細胞も無い方がいい。しかし、これがうつ病の場合は複雑になってきます。

元気になった方がいい、という点はそうでしょう。しかし、うつ病になったことによって気が付いたことも少なくないはずです。本当の自分の感情に出会うことになるかもしれません。本当の自分の人生を模索するきっかけになるかもしれません。

「うつ病の意味」について改めて考えてみることも大切なことのように思います。

偉大な僧侶はうつ病だった?

明確に記録があるわけではありませんが、偉大な僧侶や宗教家のなかにはもしかするとうつ病だったのではないかという人が少なくありません。

例えば、仏教の開祖ブッダ(お釈迦さま)は、29歳のときに王子という身分も家族も捨てて出家をされます。後に偉大な方となるので見落としがちですが、おそらく出家の前後には大変な苦悩があったことが想像できます。

「自らの人生に悩んで、大切にしなければならないものをすべて捨ててしまう」、この体験はブッダだけでなく、自分も似た体験があったと考える人もおられるでしょう。うつ病になり、仕事を辞めなければならなくなった人、辞めないまでもそれまで描いていた人生のイメージからは離れてしまったということもあるでしょう。家族と離れなければいけないということもあったでしょう。家族の期待に応えたいけど、応えられないというのも大変につらい状況です。

 29歳で出家をし、その後6年間は厳しい苦行をされました。真理を求めるためという目的はあるものの、自分を痛めつけるような姿にも見えます。人は「成功しなければならない」「努力しなければならない」と強く思って、限界以上に自分を追い込むことがあります。そして、この状況があまりにも長く続くと心身のバランスを崩してしまいます。

 ブッダは35歳のとき、苦行をやめ、町娘から乳がゆの布施を受け、穏やかに木の下に座り、悟りを開きました。張り詰めた自分の状態ではなく、適度に安定した状態こそが「中道」であり悟りの境地であることに気が付きました。

 では苦行の時間は無駄だったのか?そうではないと思います。自らの苦悩と向き合い、出口の見えない努力を積み重ねてきたからこそ見えてきたものもあると思います。うつ病で苦しんでいる人も同じような状況にあるように思います。

きっと「この苦しい時間にはなんの意味もない」と感じておられるでしょう。すぐに意味は見つからないかもしれません。しかし、ふとしたきっかけで真っ暗な苦しみの世界に、新しい光が見えることがあると思います。そのときには、苦しかったことの意味が見えてくるかもしれあません。

偉大な僧侶だけではなく、芸術家やアーティストもうつ病に苦しみながら素晴らしい作品を作っておられます。そこにはきっと苦しみから見えてくるものがあったに違いありません。

うつ病とどう向き合うか

カウンセリングの基本的な方針としては「苦しみを提言する」ことを目指します。少しでも楽になって、ご自身の進みたい道に一歩踏み出せるようなサポートをしたいと考えています。

しかしながら、一方で、苦しんでいる自分としっかりと正面から向き合うことが、本当の自分に出会い、本当の人生への道しるべになるようにも思っています。

親鸞聖人は20年間ご修行になった比叡山を降りるかどうかの決断をするときには、六角堂に百日間の参籠を決意されます。一人きりになり、仏さまと対話されました。参籠をはじめて95日目の夢のお告げで大きな決断をなされました。

夢というと非科学的な印象を受けられるかもしれませんが、心理学の中では自分の無意識を知るために夢というのは重視されています。苦しみの中に向き合う中で、自分の心の奥深くから本当の願いを見つけることができるのかもしれません。

仏教からうつ病を考えるときには、「人生の中でじっくりと自分と向き合う作業」ともいえます。楽しいことではなく、とてもつらいことではありますが、この時間から逃げずに向き合うことで見えてくるものは少なくないでしょう。

治療という観点はとても大切ではありますが、ときに自分の苦しみから無理やりに目を背けようとすることに繋がるかもしれません。なかなか治療がうまく進まないというときには、苦しみをさけるよりも苦しみと向き合うことが必要なタイミングなのかもしれません。